2020年 四国八十八ヶ所遍路 その6 2021年2月9日更新

(つづき)



15日目。今日は、27番札所神峯寺(こうのみねじ)を打つ。標高430mの山中にあり、遍路道は急坂をひたすら真っ直ぐに登っていく。そのため、「真っ縦」(まったて)と呼ばれ、遍路ころがしの1つに数えられている。唐浜(とうのはま)から行って帰ってくる打ち戻りになるので、荷物は民宿に預かってもらった。これだけでずいぶん楽になる。
朝から小雨模様。傘をさしながら歩く。荷物なしでも登りはやっぱりキツイ、苦しい。喘ぎながら登る。9時半にようやく仁王門に着く。


27番札所神峯寺 仁王門



高知県安田町唐浜 2020年10月8日・撮影


鐘楼



高知県安田町唐浜 2020年10月8日・撮影


神峯寺 本堂、経堂、みちびき弘法大師像




高知県安田町唐浜 2020年10月8日・撮影


不動明王像



高知県安田町唐浜 2020年10月8日・撮影

(明王は如来の使者で、密教によって成立した仏様である。右手に宝剣、左手に羂索(けんさく)などの武器を持ち、邪悪や煩悩、仏敵をやっつけてくれるそうだ。お不動さまとして信仰されるのがこの不動明王である。)


冷たい雨が降っていた。参拝を済ませ、納経したあと、納経所の前の休憩所で休んだ。パン菓子などを食べていたら、納経所から年配のどことなく品のいい女の人がでてきて、温かいお茶を出してくれた。温かいものがうれしかった。だが、それよりも何よりも、そのお茶のおいしいこと。入れ方が上手なのか、いいお茶を使っているのか、たぶんその両方なのだろうが、おいしい日本茶だった。そうだ、水もいいんだ。すぐ横には「神峯の水」という名水が流れ出ている。私は湯飲み茶碗を両の手で包むように持ち、中をじっと見た。濃い緑色の海が見えた。く、い海だった。
温かい一服の茶が、何ともありがたいものだとわかった。何気ないが、一期一会の真心のこもったおもてなしだと思った。私は真心を頂いたのだ。
ふと我に返って見上げると、どんよりと曇った現実の空が見えた。雨の中をとぼとぼと歩く坊主頭の若い男のお遍路が1人いた。何となく
気になる若者だった。



土産物店 神峯



高知県安田町唐浜 2020年10月8日・撮影



唐浜まで下りてきたら、朝はまだ店を開けていなかった地場産品直売(土産物店)の「神峯」に立ち寄った。何気ない顔をして中に入って行くと、小柄な奥さんは相変わらず元気そうにしていた。黙って顔を見ていたら、「あらっ」と、気づいたらしく、にこにこしながらオイラの顔を見ていた。「今日はどうしたんですか?」と言いたげな顔をしていたが、もちろんそんなことは何も言わなかった。
私はまず昨年(2019年)3月に大変お世話になったことのお礼を述べた。宿無し、携帯故障、疲れてバテバテのオイラに、奥さんは安芸市のすべての旅館、ホテルに電話して、宿の空きを調べてくれたのだ。とにかく破格の親切で助けてくれた。この日は安芸市内の旅館やホテルがすべて満室だったのだ。まあ、そのあとの事の顛末を手短に話してご報告し、二人で大笑いした。(このときのことは、コチラに書いてあります。)
コーヒーを注文し、おにぎりを買って食べた。あれこれと、世間話をしながら、小1時間は休ませてもらった。その間、お遍路は一人も来なかったし、通らなかった。
奥さんはポツリと言った。「お遍路さんは、ほんとうに少ないですよ。これからどうなるんでしょうかねえ?」他人事のような言い方が、返って切実さを伝えていた。
民宿に預けておいたザックを取ってきて、また店先で奥さんと話し込んでしまった。
「台風が来てるの知ってますよね。」と注意してくれた。私は今日はもう安芸市内の宿に泊まろうと思っていた。雨は本降りになるし、靴の中はぐちょぐちょだし…。ここは名にし負う土佐の高知の台風銀座なのである。台風の怖さは子供の頃から知っている。石垣島の台風だって経験してきた。そういうことはともかく、安芸の仇は安芸で捕っておきたかった。だから、今夜は安芸市内の旅館かホテルに意地でも泊まるのだ。そんな気持ちに傾いていた。
「安芸市内の旅館かホテルは、素泊まりならどこがいいですかね? 安くて、歩き遍路に便利などころはどこですか?」また宿の情報をきいてしまった。奥さんはどことも知り合いなのだろう、あまりはっきりとは言わなかったが、言葉の端々で何となく分かった。そして、今なら、どこも空いているだろう。
唐浜から安芸市内まで、まだ10kmくらいはある。あまり暢気にしてはいられない。私は何となく名残惜しかったが、土産物店神峯をあとにした。

国道55号を行く。土佐くろしお鉄道阿佐線(ごめん・なはり線)の鉄路を右に見たり、左に見たりしながら、雨の中を歩く。5kmほど行くと、海岸沿いに小さな道の駅大山があり、なぜかうどんを食べた。雨が強くなり、とても野宿できる状態ではなかった。歩き遍路では、不安になると、なぜかとにかく飯を食べておこうとすることがある。
安芸駅近くの清月旅館に素泊まりで泊まることにした。大きな街だからスーパーも少し歩けばあるのだが、目の前にコンビニがあったので、ほとんど食べ物や飲み物は間に合ってしまった。歩き遍路にとっては、今やコンビニは非常に重要で、お寺を巡っているのか、コンビニ巡りをしているのか分からなくなるときさえある。
今日の歩行距離は、神峯寺への登り下りがあったとはいえ、約17km。はあー。


道の駅大山



高知県安芸市 2020年10月8日・撮影 








(つづき)

16日目。遂に台風14号が四国に接近してきた。秋の台風にしては進む速度が遅く、四国沖でうろうろしているそうだ。お陰で台風の直撃はまぬがれているが、じわじわと雨も風も強くなっている。
秋のお遍路だから、一度は台風に襲われるだろうと予想はしていたが、よりによって海岸線の土佐浜街道を歩く日に、接近してくるとは、何ともタイミングがよすぎる、いや、悪すぎる。
雨具を上下ともバッチリ着て、傘をさして歩いた。球場前駅を過ぎたあたりから、国道55号からやや左に離れて海岸線の防波堤のような所を歩く。工事中とかかれた所もあったが、そのまま進んだ。国道を行けば、車の水しぶきを思いっきり浴びることになるから。
穴内乙道路休憩所という東屋で休んで、何か食べた記憶はあるが、あまりはっきり覚えていない。もうほとんど写真も撮っていない。
超軽量高級折りたたみ傘は、壊れたら大変なことになるので、ザックにしまった。



アカテガニ 赤手蟹 (我カニと戯れる余裕はあった。)



高知県安芸市 2020年10月9日・撮影


(川口によくいるカニで、体の幅は3〜4cm。湿った石垣や岩場にすむ。
体やはさみの赤色が目立つ。けっこうすばしっこい。)



大波 台風14号接近中



高知県安芸市 2020年10月9日・撮影


海は大波で荒れ狂っていた。でも、暴風雨というほどではなく、暴風圏内にはまだ入っていないような感じだった。なんにも考えずに黙々と歩いた。途中、琴ヶ浜松原野外劇場で雨宿りしながら大休止し、昼飯を食べた。ボーッと海を見ていたら、なんだかもう歩くのが嫌になってきた。


琴ヶ浜松原 自転車道入口 (通行止めになっていた。)



高知県芸西村 2020年10月9日・撮影



善根宿 萩森



高知県芸西村
西分 2020年10月9日・撮影



その先の西分駅近くの有名な善根宿萩森は閉まっていた。台風に備えて閉めたのか、もう閉鎖したのかは分からなかったが、何となくもうやっていないように見えた。
西分駅を過ぎると、「ミタニ建設工業お遍路さん休憩所」があり、「ご自由にご利用ください」と書かれている。板張りの床があり、三方が壁になっているので、泊まるにはかなりいい。年取った男の人が休んでいた。
この隣に、特別養護老人ホームのウエルプラザ洋寿荘があり、そこにも立派な遍路休憩所が作られている。中でお遍路さんが休んでいた。昨日、神峯寺でとぼとぼと歩いているのを見かけた若者のお遍路さんだった。私も休ませてもらった。
相当雨にやられたらしく、靴や靴下を脱いで乾かしていた。ビスケットを上げると、遠慮がちに1つ取って食べた。物静かであまり自分からはしゃべらない人だった。坊主頭を見て、「お坊さんですか?」ときくと、「いや、違いますよ」とにこりとした。
昨日、神峯寺で見かけたことを言うと、昨日は球場前駅の東屋に泊まり、今日はここに泊まるのだそうだ。この雨の中ちゃんと野宿してる。えらいなあ。愛知県から来てる人で、明日は帰るのだという。






ウエルプラザ洋寿荘 遍路休憩所



高知県芸西村西分 2020年10月9日・撮影



手結山(ていやま)トンネル



高知県香南市夜須町 2020年10月9日・撮影



手結山トンネルは、旧道トンネルが「花取り歩道トンネル」(120m)(写真右側)となり、歩行者用になっている。ここを抜ければ、夜須の町も近い。だが、ここから今日の目的地、野市のゲストハウス水仙の里までは、まだ10kmくらいはある。現在の時刻午後2時半。かなり遅くなりそうだ。キツイだろう。(この日は、ここからあとは、写真を1枚も撮っていない。雨の日は写真の枚数が圧倒的に少なくなる、というか、本当にきつかったのだろう。)

思い起こせば、2019年の3月、ここを歩いたときも大変だった。前日、唐浜で電車に乗ってしまい、それが心に引っかかって、翌日また唐浜まで戻って歩き直しをしたのだ。だが、結局夜須駅までしか歩けなく、夜須駅からまた電車に乗ってしまったのである。だから、その翌日はまたまた夜須駅まで戻り、歩き直しをしたのだった。
もしかしたら、この辺の土地というか道はオイラにとっては鬼門なのかもしれない。いや、ここではそれだけに、ずいぶんいろいろな人に助けられ、救われた。だから、逆に幸運の土地とも考えられる。
国道55号は、赤岡駅あたりで線路からいったん離れる。片側2車線の広い道が延々と続く。雨も降り続く。
ゲストハウス水仙の里の奥さんは、あまりに私が遅いので、しびれを切らしたと見えて、電話をかけてきた。ところが、この買ってきたばかりのスマホは電話に出るのがすごく難しい。(おいおい、電話が最大の機能なんだから、そんなことあるわけないだろ。) だが、そうなのだ。雨の中、取り出すのに手間がかかる。そして、どこをどう押せばいいのかよく分からない。出るとすぐ切れてしまう。その他いろいろ…。
奥さんは、「今どこですか? 迎えに行くから」と、言うことも、やることも速く、すっきりはっきりしていて、非常に助かるのです。
別に暗くなっていたわけではないが、このとき、オイラは現在地を正確に伝えることができなかった。まわりの大きな建物の名を言うだけの小学生のようだった。すでに疲れ切っていたのだ。タクシー会社の車庫の軒下に、休ませてもらった。まだ、高知黒潮ホテルにも来ていない地点だった。
「動かないでくださいね」と念押しされたが、もう歩けなかった。おまけに、安心してか、気が緩んでしまっていた。

ゲストハウス水仙の里の着くと、すぐ温かい風呂、そしてビールを飲みながら豪華でおいしい食事をいただくと、私はすっかり元気を取り戻していた。いよいよ、ここに泊まった最大の目的であるサッカーの国際試合カメルーン戦が、大型テレビで心おきなく観戦できるのである。
試合はじっくり見て楽しんだ。結果は0−0で、いまいち盛り上がりに欠けたが、まあ満足できた。
歩き遍路だなんていったって、肉体的な苦しさはあるが、修行なんかじゃない。宗教心や深い信心があるわけでもない。ただし、現世利益の願い事だけはいやというほどたくさん持っている。もちろん単なるおもしろおかしい物見遊山の観光ではないことは確かだが、まあしれてる。
では、なぜこんなにまでしてお遍路するのだろう…。

今日で16日目が終わった。よく歩けたものだと我ながら感心する。しかも、宿屋泊まりは今夜を入れても5泊だけだ。けっこう節約したなあ。
でも、まだ四国全体の半分も来ていない。それなのに体力的にはほぼ限界にきている。何とかしなければならない。オイラはない知恵と壊れかけた頭をフルに使って考えた。結論はすぐに出た。荷物か重いのだ。不要な荷物を送り返せばいいのだ。余分の物はあまりも持って来てはいないつもりだから、要するに、テントやシュラフ、炊事道具などの野宿用の物を送り返せばいいのだ。荷物を軽量化して身軽になって、素泊まり泊をしていけばいいのだ。私は、そう決めた。
だが、急ぐことはない。明日からは、このゲストハウスをベースにして、毎日ここに戻って泊めさせてもらえばいいのだ。前回も3連泊した。そのときいた若いフランス人の美人は5連泊目だと言っていたではないか。
ここの立地は、鉄道をうまく活用すれば、すべて歩き遍路できる場所なのだ。遍路の方針変更を頭の中で決めると、私は心地よい眠りの中に入っていった。


ゲストハウス水仙(の里)



高知県香南市野市町西野 2020年10月 日・撮影


(つづく)

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