四国八十八ヶ所遍路 その4

 2021年1月19日更新 (その1はこちら) (その2はこちら(その3はこちら

 (その4)

(つづき)

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10日目。23番札所薬王寺から次の24番札所最御崎寺(ほつみさきじ)までは、なんと75kmある。国道55号を室戸岬へ向かって、ただひたすら南下していくだけである。今日はどこまで行けるのか見当も着かないまま出発した。朝6時だった。いつもより1時間は早い。
30分ほど歩いたら、マルに宝と描いたうどん屋というか食堂があった。今日は長い1日になりそうな予感があったのだろうか、めずらしく朝から店に入ってみた。朝定食(500円)ならできますよ、とのことなので、それを食べた。腹ごしらえは十分できた。
10時には小松大師、12時には牟岐駅前のスーパー・ポルトに着いた。店内の魚屋で昼飯に魚の姿寿司を買って食べた。おいしかった。その後スタンドでうどんも食べた。こちらはどうということはなかった。
午後2時には、別格霊場第4番札所鯖大師本坊に到着。正式には、八坂山八坂寺というそうだ。前回は宿坊に2食付きで泊まった。境内でご住職がお孫さんらしい子供と遊んでいた。
昨年泊まってお世話になりましたと挨拶すると、冷たい缶ジュースをお接待ですよと持ってきてくれた。お坊さんからお接待を受けるというのは、なんか逆で変な感じがしたが、ありがたく頂いた。冷たくておいしかった。
少し立ち話をした。「ご祈願やご供養の勧めの郵便をご丁寧にお送りいただいて…」とお礼をいうと、「いやー、泊まられた方には送りしてますが、2年だけですよ。どうぞご心配なく。」と普通の人の感覚の会話だった。だが、こちらのご住職は、私が言うのもなんだが、かなりの人物のようだ。
前回の朝の勤行の読経や法話がすばらしく、威厳と説得力があった。それから、なんといっても、山の中の遍路道にこの人とお寺の名前が入った道しるべの札が多い。よく歩いてきた証だろう。さらに言うならば、「万体不動尊奉安殿・鯖大師不動(観音)洞」という、何といったらいいのか知らないが、長い洞窟の中の建物がすごく立派で神秘的で、これを造られた力に目を瞠るからである。


別格霊場第4番札所 鯖大師本坊 万体不動尊奉安殿



徳島県海部郡海陽町浅川 2020年10月3日・撮影

あまり知られていないが、この奥に全長88mの洞窟が掘られ、万体不動尊が祀られている。そして、四国八十八ヶ所、四国別格二十霊場、西国三十三観音霊場のお砂踏みの修行もできる。LED照明による得もいわれぬ神秘的な空間が造り出されている。




阿波海南駅近くのヘンロ小屋1号香峰に着いたのは午後4時45分だった。日和佐の薬王寺から約26kmは歩いた。いくら起伏の少ない道路とはいえ、もう限界に近かった。へとへとのくたくただった。できれば、このヘンロ小屋に泊まりたかった。だが、ここは宿泊禁止なのである。それは知っていた。でも、隣というか同じ敷地内のほっかほっか弁当に、当たって砕けろで、聞いてみた。
「今、店長がいないからわからない。」と言う。しつこいとは思ったが、本当にダメなんですか? と尋ねると、店員のおばさんは「ダメだと思います。」とはっきり言った。私は諦めた。でも、心の中で「こん畜生!」と思った。(…全然修行ができてない。)
ここは、設備も立地条件もよくて、お接待も熱心にやっていて評判がいいのに、なぜだろう…。何か特別の理由があるのだろうが、一番最初にできたヘンロ小屋がこれでは、何とも残念なことだ。ついでに言うなら、ここより10kmほど手前の、ヘンロ小屋牟岐50号も、立派な建物なのに宿泊禁止になっている。
私は気を取り直して、すぐ先のコンビニに入り、とにかく今夜の弁当と缶ビールだけ買った。そして、テントで泊まれるような場所があるか尋ねた。だが、レジの女の子の説明は、あるにはあるようだが、あまりよく知らないのだろう、どうも要領を得ない。私はここでも適当に諦めて外に出た。なんかヤバそうな雰囲気が立ちこめてきた。
地図を必死で見ていると、横から「泊まるところをお探しですか?」と女の人の声がした。「ええ。でも、どうして?」と聞いた。「今、お店の中で聞こえていましたから…。」
女の人は、とても親切に、丁寧に教えてくれた。
「この先の橋を渡って左側にスーパーがあり、その先のバス停が休憩所になっていて、お遍路さんがよくテント張って泊まっていますよ。」
「バス停ですか?」と私がちょっとためらった風をすると、
「昨日も1人泊まっていましたよ。」と、親切というより、人なつっこそうな人だった。私は何度もお礼を言って先を急いだ。橋というのは新海部川橋で結構長い。左側に食料、衣類、酒も売っている大きなショッピングセンターがあった。その先に、木造の海部駅前バス停があり、休憩所になっていた。
バス停ということで、ちょっと躊躇したが、もはやそういうことを言っていられる時間ではなかった。5時半を過ぎていた。あたりは薄暗くなり始めていた。ここに泊まることを決めた。本日の歩行距離は27.7km。
落ち着いてから、ショッピングセンターに行ってみた。なんでもそろっていた。100円ショップもあった。少し買い物をしたが、重くなるから少なめにした。
バス停に戻ると、早々とテントの中で寝た。

そして、真っ暗になったころ、シュラフの中でうとうとしていると、外で、「こんばんは!」という女の人の声がした。 なぬっ? 遅着きの女お遍路さんか? まさか。
また、「こんばんは!」と声がした。

テントを開けて外を見ると、黒い人影が2つ立っていた。
「先ほどの者ですが、無事泊まられたのですね…。ああ、よかった。」
私は外に出て、「おかげさまで…、本当に、ありがとうございました。」とお礼を言った。
「もし、まだ困っているようだったらと、心配になったものですから、見に来たんです。主人に話したら、家に連れてきて泊まってもらえ、と言われましてね。」
「いや、そんな。ここで十分です。快適ですよ。」
女の人はあたりを見て、「本当に、大丈夫ですか?」と尋ねた。そして、ちょっと後ろを振り向いて、
「息子です。興味があるらしく、着いてきてくれたんです。」
小柄な青年がちょこりと頭を下げた。
女の人が、「これはおにぎりと飲み物ですが、どうぞ召し上がってください。」
「いやー、そんな…。申し訳ないから…。」
「お接待ですから。」
私は、けっこう重い買い物袋を手にしたとき、不意にジーンときてしまった。何か温かい気持ちが私の体の中に入ってきたような感じだった。私は言葉を失って、何も言えなくなってしまった。でも何か言わねばいけないと思った。この青年に言わねばいけないと思った。
「お母さんは、本当に心の優しい人ですね。そして、相手が必要としているものがよくわかり、それを惜しみなく与える実行力というか、行動力のある方ですね。いいお母さんですね。」と言った。
青年は何度もうなずき、「はい」とだけ言った。
私はふだんはあまり出さないが、納め札に住所と名前を書いて名刺代わりに渡した。
二人の乗った車は去っていった。この近くの人ではないとも言っていた。いい人に出会えて、いい思いをいただいた。おにぎりもいただいた。ありがたいことだと思った。シュラフにもぐり込んでから、しばらくは眠れなかった。


海部駅前休憩所



徳島県海部郡海陽町  2020年10月3日・撮影





11日目。今日は遂に、というか、やっと、阿波の国・徳島県から土佐の国・高知県に入る。発心の道場から修行の道場に移る。遍路道は高知県が一番長い。約396km。札所は一番少なく、16寺。
鉄道は、今はJR牟岐線がこの海部駅まであるが、来月11月からは、第三セクターの阿佐海岸鉄道に組み入れられるらしい。この阿佐海岸鉄道は、甲浦(かんのうら)まで伸びているが、日本一儲かっていない鉄道といわれている。
道路は、そこから室戸岬、いやその先も、片側1車線の国道55号線がただただ続くばかりだ。遍路はまさに辺土(へんど)の地へと突入することになる。


木目(こめ)大師 (清水大師)



徳島県海陽町宍喰浦 2020年10月4日・撮影





徳島県海陽町宍喰浦 2020年10月4日・撮影



宍喰の町を抜けると、木目(こめ)大師の小さなお堂がある。ここで休み、昨日いただいた大きなおにぎりを食べる。小雨が降ってきた。また超軽量折りたたみ傘が活躍する。
しばらく行くと、水床(みとこ)トンネルがある。ここがまさに国境である。トンネルの中でいったん高知県にはいるが、すぐにまた徳島県になり、そしてトンネルを出たところに高知県・東洋町の道路標識がある。こちらが県境のようである。歩き遍路もなんとか高知県に入った。



水床(みとこ)トンネル 県境



徳島県海陽町/高知県東洋町 2020年10月4日・撮影




東洋大師(明徳寺)




高知県東洋町野根 2020年10月4日・撮影


午後2時、東洋大師(明徳寺)に着き、お参りした。ここには通夜堂があり、無料で泊まれるが、コロナのため閉鎖されていた。先へ行くしかない。だが、この先は商店も食堂もほとんどない。自動販売機さえ極端に少ない。頼りは、遍路宿や民宿がポツンポツンとあるだけだ。
海岸の石がゴロゴロ鳴っているのが聞こえるごろごろ休憩所を経て、法海上人堂についたのは午後4時半だった。また同じようなことを繰り返している。距離はそこそこに歩いているが、どんどん到着の時刻が遅くなり、終いには暗くなってどうしようもなくなる。それでも、本人はがんばって歩こうなんて思っているから、始末に負えない。我ながら困ったものだと思いながら、考えた。



ハマナデシコ 【 浜撫子 】



高知県東洋町野根 伏越ノ鼻付近 2020年10月4日・撮影

暖かい地方の海岸の岩場や礫地、草地にふつうに生える。草の高さは40cmくらい。




野宿は佐喜浜港の大師堂を予定していたが、このペースでは無理だろう。場所も状況も細かくは確認してない。分かりにくい場所だとは聞いていた。こういうときはやめた方がいいだろうな。やはり民宿で素泊まりにしようかな? その時、はっとロッジおざきの若女将の顔が目に浮かんだ。
2019年去年の春に1泊お世話になっている。あちこちたくさん泊まっているわけではないが、四国の遍路宿の中では屈指の美人女将だろう、と私は思っている。オイオイ、今はそんなことに想いをはせているときじゃねえだろう。あの時も大変な思いをしてやっとでたどり着いたような気がする。私は道ばたにへたり込んで電話した。変わりなく、明るく、はきはきした、きれいな標準語だった。
「海沿いの遍路道ではなく、山側の55号の道を通り、コンビニのモンマートで食べ物を買ってきてくださいね。」と念押しされた。
東洋町から室戸市に入ったのは、ちょうど午後5時だった。無事、素泊まりで宿は取れたが、宿に着くのは、7時頃になってしまうるかもしれないな。この時期の日没は5時45分頃だ。早めにヘッドランプを出しておこうと思ったが、こういうときに限ってすぐにすっと出てこない。イライラして焦ってくる。すでにド壺にはまっている。
暗くなってきた。だが、なかなか佐喜浜の町に着かない。道を間違えたかなと不安になるが、そんなことはないだろう。国道55号をただひたすら歩いてきたつもりだ。左には黒い海だけが見えていた。
まだかまだかと歩いた。ほとんど何も考えず、惰性で歩いていた。
道が海岸線からやや離れ、しばらく歩くと前方に明かりが見えた。「モンマートむろと店」だ。ホッとしたと同時に、まだコンビニまでしか来ていなかったのだとも思った。
私はまるで放心状態で、明るいコンビニの中に吸い込まれていった。
開口一番、「ここは長いなあ〜。参ったよ。」とつい愚痴ってしまった。「ロッジおざきに素泊まりで泊まるんですが、あとどのくらいありますかね。」と尋ねた。
ご主人は、「あと、3kmはあるな」と言った。その時、私がどんな顔をしたかはよく憶えていない。よほど酷かったのだろう。ご主人の対応は素早かった。3秒後にはもう車のキーを手に持っていた。
「車で送ってってあげるよ」
私は「いや、それは申し訳ないから…」と口では断りながらも、足はちゃっかり乗せてもらう気になって歩き始めていた。そういうことなら、追加でもっと買い物していこうと、あれこれつまみやお菓子も買った。
軽の車の中で話しながら行った。ご主人はオイラと同い年だった。でも、どことなく垢抜けていて格好良く、アイビールックがそのまま歳をとったような感じだった。
車で行けば、ロッジおざきはすぐだったが、ここを歩いたら、本当に大変だっただろう。つくづくありがたかった。着いたとき、私は1枚出して、「ガソリン代ですけど」横に置いた。私には、助けられた、という実感があった。
しかし、ついに今回の遍路で、初めて車に乗ってしまった。明日の朝、モンマートまで戻って、また歩き直すことにしよう。
本日の歩行距離は、29.8kmだった。

ロッジおざきの玄関を入ると、洋風料理のいい匂いがプーンとした。夕食の忙しい時間帯だった。
若女将は相変わらずきれいだった。雛には稀な人だ。でも、いくらかふくよかになられたように見えた。
風呂に入ったあと、着替えは籠に入れておいてくださいねということだったので、そのままにしておくと、洗濯して乾燥させて、丁寧にたたんでくれてあった。そのたたみ方がすごくきれいなのには驚いた。そして年甲斐もなくなんかちょっと恥ずかしいような感じがした。忙しいなかお手数をかけて申し訳なかった。



民宿 ロッジおざき



高知県室戸市佐喜浜町 2020年10月5日朝・撮影


コンビニ モンマートむろと店



高知県室戸市佐喜浜町 2020年10月5日朝・撮影




12日目
翌朝は、荷物を預かってくれ、昨日の最終歩行地点のコンビニ・モンマートまで車で送ってくれた。ありがたかった。
今日は、いよいよ室戸岬の突端、24番札所最御崎寺(ほつみさきじ)を目指す。
国道55号を海岸線に沿って、ただひたすら南下する。鹿岡鼻の夫婦岩、三津漁港を経て
御蔵洞(みくろど)に着く。この海蝕洞で若き日の空海が、求聞持法を修行したそうだ。このことは、自著「三教指帰」の序に自ら書いている。だから、ちゃんとお参りした。そして海の方を見て、大きな口を思い切り開けて、念じてみた。明星どころか、虫1匹入ってこなかった。でも、よい天気に恵まれ、空と海だけはいやというほどよく見えた。



御蔵洞(みくろど)



高知県室戸市室戸岬町 2020年10月4日・撮影



24番札所 最御崎寺(ほつみさきじ)



高知県室戸市室戸岬町 2020年10月5日・撮影


登山口から最御崎寺へは、室戸岬灯台を経て、山道を標高で165mほど登る。荷物を持っていくか置いていくかは微妙なところだ。ザックの重さが応えていることはよく分かっていた。だから、迷ったが、置いていくことにした。45分ほどで仁王門に着いた。修行大師像が迎えてくれた。境内には亜熱帯植物の緑が鬱蒼と茂っていた。参拝する。
ついに室戸岬まで巡礼したのだ。感慨無量だった。
この日は室戸岬の先端にテントを張って泊まることもできたのだが、なぜか妖気を感じ、気がすすまなかった。そこで、4kmほど先の、道の駅ではなく、「海の駅とろむ」というところまで歩いた。港に着いたとき、ちょうど夕日が沈もうとしていた。午後5時36分だった。本日の歩行距離は、22.5km。



海の駅とろむ



高知県室戸市室戸岬町 2020年10月6日朝・撮影

海鮮市場やレストラン(右奥)と広い駐車場がある。手前の東屋は足湯だが営業していないので、この中にテントを張って泊まった。左手にビールの自販機があったので、大助かり。高速バスの停留所もある。歩き遍路は私1人だった。車中泊の車は3,4台いたが、サーファーか観光の人のようだった。夜も朝も、地元のウォーキングの人がよく通り、ベンチに座っておしゃべりをしていた。要するに、ほどほどに人がいて、人目のあるところのほうが安心して野宿できるということだな。 




(つづく)




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