『遍路の風景』 |
《1日目》 1番霊山寺→ 2番極楽寺→ 3番金泉寺→ 4番大日寺→
5番地蔵寺→ 6番安楽寺→ 7番十楽寺→ ヘンロ小屋土成テント泊
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1番札所 霊山寺【 りょうぜんじ】 仁王門
午前6時36分、春ではないが、あけぼのの空朧々として、夜行バスは予定通り徳島駅前に着いた。大急ぎで真っ直ぐ駅舎を走り抜け、JR高徳線の高松方面行きに乗った。発車時刻は6時37分、待ち合わせ時間は1分である。バスが早く着いたとか、電車(正しくはディーゼル車)が遅れて発車したとかではない。どちらも定刻通りである。それにしても夜行バスが、定刻通りに着くとは、コトバス恐るべしだ。 5つ目の板東駅で列車を降りた。午前6時57分到着。そこには懐かしい遍路道の風景が広がっていた。天気は晴れ。穏やかな晩秋の朝だった。 さっそく歩き始めた。いよいよ“歩き遍路通し打ち”の始まりである。 1番札所霊山寺へは約900m。札所は朝一番ということもあって、団体のお遍路さんが何組かいた。でも、賑やかというわけでもなく、外国人のお遍路も見られなかった。 お遍路さんと わが名呼ばれて 柿一つ 旅人と わが名呼ばれん 初しぐれ (松尾芭蕉 『三冊子』土芳) |
十三仏とは、不動、釈迦、文殊、普賢、地蔵、弥勒、薬師、観音、勢至、阿弥陀、阿門、大日、虚空蔵で、死者の初七日から三十三回忌までの追善供養のために祀られている。 |
4番大日寺へあと1.8km地点。このコンクリートの橋があったら右へ曲がる。2番極楽寺から10番切幡寺くらいまでの遍路道は、幹線道路の県道12号におよそ並行しているが、県道は車の量も多いから、昔ながらの野道や山道の遍路道を歩くほうが趣があっていい。コンビニやうどん屋に用事ができたら、その都度12号まで行って、また戻ればいい。 |
4番・大日寺は、片道1kmくらいの打戻りのコース(同じ道を行って帰ってくる)になる。標高で40mくらいを2度登るだけだから、大したアルバイトではないが、やはり荷物をどこかに置いて登りたくなる。夜行バスに乗ってきた第1日目だからなおさらだ。 愛染院、藍染庵を過ぎてしばらく行くと、遍路道沿いに住宅があり、その前にベンチと白い椅子が置かれている。私はここにザックを置いていった。参拝に必要な物だけ持って空身で登った。荷物は極力少なくしてきたつもりだが、第1日目ではどうしても重くなる。空身はやはり楽だ。 |
歩き遍路道をふつうに歩いていくと、5番地蔵寺の奥の院である羅漢堂に先に着き、そのあと地蔵寺に入るような形になる。羅漢堂を左手からいったん外に出て、仁王門をくぐって地蔵寺境内に入ることもできる。ちょっと堂宇の配置がわかりにくいかも知れない。 羅漢堂には約200体の木造等身大の羅漢像が並んでいる。見応えがあるが、2回観ているせいか、今回は拝観しなかった。やはりすでに先を急いでいたのだろう。 |
安楽寺は、仁王門の2階部分が通夜堂になっていて、無料で泊まらせてもらえる。“歩き遍路野宿派”にはよく知られている所なので、一度は泊まってみたいと思っていた。納経所の女の人に宿泊させてもらえるかきいたら、OKだった。だが、ここで泊まるか、もう1つ先まで歩くか、ちょっと迷った。そして、なぜか泊まらずに、次の7番十楽寺へ向かって歩き出した。 竜宮城のような建物だが、すでに西日の陰ったコンクリートの仁王門は寒そうに見えた。階段は吹き抜け状態で、一歩外は道路で公道である。夕方4時を過ぎていたのだから、ふつうなら第1日目なのだし、ここで泊まるのが賢明なのだろうが、1寺でも多くお参りしておきたいと、知らずに欲が出ていたのかも知れない。 (つづく) |
十楽寺に着いたのは午後4時45分だった。ほとんどの納経所は5時ぴったりに閉める。だからこの時間帯になってしまったときは、行動の順序を少し工夫しなければならない。もちろん本堂と大師堂をそれぞれ参拝してから納経所に向かい、墨書きと御朱印をもらうのが正しい順番だが、どうしても間に合わなくなったときは、何食わぬ顔で納経所に先に行くのである。そしてあとから参拝する。特にその日のうちにもっと先まで歩くときは、翌日の朝参りができないのだから、その日のうちになんとしても納経をすませておかなければならない。 第1日目からこういう裏技を使わなければならなくなるなんて…。初日から、ちょっとがんばり過ぎだったのだろうか? いや、違う。 でも、6番・安楽寺の通夜堂に泊まれたのに…… (つづく) |
7番札所十楽寺から約3kmの遍路道沿いにあるヘンロ小屋57号土成の四阿屋に、ほとんど暗くなってからテントを張って泊まった。上の写真は翌朝撮った。 ここは三木武夫元首相の家の跡地で、阿波市に寄贈されて、「おもてなし公園」となった。近くに売店やコンビニはないが、トイレも水もあり、外灯もついていて、安心して泊まれる。 |