2020年 四国八十八ヶ所遍路 その10     2021年2月18日更新

(つづき)


21日目。ゲストハウス水仙には、結局5連泊してしまった。上げ膳据え膳、風呂付き、送り迎え付きで、洗濯もしてもらって、大変お世話になった。後半の2日間は、帰りの時間が遅くなりそうなので、素泊まりにしたのに、朝の軽食は出してくれるし、昼飯のおにぎりも持たせてくれた。はっきり言ってサービスし過ぎだって…奥さん。
お陰さまで、28番大日寺から35番清瀧寺までを隙間なく歩き遍路できた。感謝感激、お礼のことばもない。


野市郵便局



 高知県香南市野市町西野 2020年10月14日・撮影


今朝は奥さん、用事があって出掛けたので、私は1人でタクシーを頼み、出発した。行き先は、野市郵便局だった。荷物を家に送り返すのである。
テント、ポール、エアーマット、シュラフ、ガスコンロ、自炊道具、着替えなど、野宿に使用するもの全部を、きれいさっぱり送り返すのである。
ゆうパックの段ボール箱100サイズで1440円(+箱代220円)だった。これで身も心も身軽で、気楽なお遍路さんになった。後はひたすら安い遍路宿を見つけて、素泊まりしていけばいいのだ。
方針変更したら、気持ちが楽になって、どこまでも歩けそうな気がした。でも、それは大きな間違いだった。昨夜の夜更かしが効いているようだった。それに、考えてみれば、もう20日間も1日の休みもなく毎日歩き続けてきたのである。疲れも出るさあ〜。と、思った瞬間、どっとたまっていた疲れが出た。郵便局から野市駅までは500mくらいなのに、歩くのがしんどかった。ほとんど歩けなかった。
昨日の最終歩行地点は土佐市である。だが、宿のあてもなかったし、そもそも電車でも、そこまで行く元気が出なかった。



高知駅前 「坂本龍馬先生像」



高知市 2020年10月14日・撮影


今日は休養日にしよう。高知駅周辺のゲストハウスにでも泊まろう。
いや、移動だけはしておこう、とか、いろいろ迷ったが、高知駅前のベンチに座りこみ、私は電話した。1軒目、コロナで休業中。2軒目、電話に出ない。3軒目、電話が転送されているようだった。別の店にいるので…、ということだったが、「いいですよ。」と言ってくれた。藁をもつかむ思いで「よろしく」と言った。だが、なんとなく一抹の不安がよぎる。場所もはっきりとは知らなかった。道順を聞き、着いたらまた電話することになった。オートロックだから、入り方をお教えしますからといわれた。今までに経験したことがないパターンだった。

宿は高知駅から歩いて10分ほどで、予想に反して立派な建物だった。鉄筋コンクリート造の3階建ての住宅だった。
電話する前にまずメモ用紙とボールペンを用意した。これがないとまず無理、覚えられない。電話をすると、まず玄関のドアーのキーパッドで、※印や#やその日の暗証番号などを入れるのだそうだ。さあ始めようと思ってよく見れば、ドアーがわずかに開いているではないか。おかしいよ。「ドアーが開いていますよ」と言うと、
「あれ? そう〜! じゃあ、カチャッと閉め直してからもう一度やり直して〜」
「はあ〜? はい。」 でも、わざわざ閉めてからまたオートロックで開けるなんて、なんかおかしいよなあ・・・。
また暗証番号などを入れて、「はい、開きました。」
「じゃあ玄関を入って、2階へ上がってください。」
スマホを片手に、2階に上がると、電話で部屋やトイレ、ダイニングキッチンの位置を教えてくれた。二間続きの和室のどちらでも好きなほうを使ってくださいと言われた。
「夕方ごろには戻りますので、あとはご自由にどうぞ」とのこと。完全にリモートである。

とにかく、びっくりした。床の間のある広いほうの和室は12畳以上はありそうで、部屋の作りも調度品も立派なものだった。だが、それよりも何よりも、つい先ほど電話してきた見ず知らずの旅のお遍路を、宿というよりはむしろ自分の家に会いもしないで上げてくれたということである。私はもしかしたら暗に無理を言ってしまったのではないだろうかと、ちょっと心配になった。

部屋の中の空気が澱んでいた。ガラス戸を少し開け、外の空気を入れた。爽やかな風がゆっくりと入ってきた。私はなんか、助かった、助けられた、と思った。とにかく、体が疲れていたのだ。
積んであった座布団3枚を縦に並べ、そこにごろりと横になった。体がなんとも楽になり気持ちよかった。そのまま何も考えずに天井を見つめていた。子供の頃から天井を見る癖があった。静かだった。いつの間にやら、うとうとしていた。自分のいびきが耳元の近くで聞こえていた。それがだんだん遠のいていく。私から私が抜け出して、どこかへ遠ざかっていく感じだった。そこには、微動だにしない抜け殻のような私が横たわっていた。私は私に置き去りにされていた。
一体、どのくらいの時間が経ったのだろう。開けたガラス戸の間から、あるかなきかの生あたたかい空気の流れのようなものが入り込んできた。どのくらいの時間眠っていたのだろう。一炊の夢か、いやあたりの畳の目には、わずかに夕方の気配が漂い始めていた。静かというよりも、音が失われていた。物も無かった。存在が根拠を奪われ、物があやふやになっていた。
身体の疲れがとれ、心の中がきれいに洗われたような感じだった。不思議な感覚だった。私は上体を起こし、ボーとしていた。一体、何があったのだろう…。
別に何もなかったのだろう。私は疲れ切って、ただ深い午睡に落ちていただけなのだろう。

正直を言うと、この遍路の旅も、どうやら限界に近づいているような予感がしていた。荷物の多くを家に送り返して、身軽になり、再出発を期したその日に、そう思うのだから変なものというか、事態はやはり深刻だったのだろう。
今日は歩き始めてから21日目、巡った札所の数は35番まで。まだ全体の半分も来ていない。全然ダメである。話にならない。だが、せめて足摺岬、38番金剛福寺までは歩きたい。地図とにらめっこしながら、あれこれ考えた。足摺岬までは、156kmある。私の足なら、あと7日はかかる。そこまでの間に、どうしても泊まりたい宿が1軒ある。有名な老舗というわけではないが、歩き遍路にとっては知る人ぞ知るメッカのような民宿である。でも、遍路道から外れた不便なところにあり、いったん逃したら、なかなか泊まれない。今回は是非泊まりたいと秘かに思ってきた。その民宿に泊まるのは、長年の夢だった。

さて、ここ高知駅近くのゲストハウスから、歩いて10分もかからないところに、はりまや橋バスターミナルがある。こんな近くにいながら、高速バスの情報を集めに行かない手はない。いや、帰りの高速バスのチケットを買うことだってできるのだ。ゴールとそこまでの日程が見えてこないあたかもエンドレスのような歩き遍路が精神的にキツイのだろう。目に見えないプレッシャーになっているような気がした。
だから、1週間後の帰りのチケットを無理矢理買ってしまうのだ。意識の上でエンドレスな歩き遍路にケリをつけるのだ。
夜行高速バスは一応動いていた。聞けば、電話でも1回は日にちの変更ができ、2回目にはキャンセルができ、1年間は返金してくれるのだそうだ。1週間後の新宿行きのチケットはすぐに取れた。これで安心。遍路をやめることも、続けることも、どちらにも対応できる。まあ、1週間後に判断を先延ばししただけなのかもしれないが…。遍路が続けられそうだったら、日にちの変更をし、最悪キャンセルすればすむことだ。だいぶ気が楽になった。
さあ、飲みに行こう〜。(えっ?) 休息や気分転換、要する長い歩き遍路の間には息抜きが必要なのだ。そう自分で勝手に思った。

前回立ち寄り、「また必ず来ますよ」なんて言ってしまった居酒屋というか赤提灯に行ってみた。路面電車通りの橋詰を過ぎたあたりで、完全に昭和の面影を残している店だった。確かこの辺だったような気がしたがと探したが、見当たらない。あたりはもう暗くなりかけていた。店は薄暗がりの中にとけ込んでいた。なんと閉店していた。張り紙には「改装のためしばらく休業します。」と書かれていた。コロナの影響とは書かれていなかった。なんとなく、なるほど、という感じがしたが、がっかりして、侘びしくなった。だが、こういうときは、こだわらず、未練を残さず、他を探せばいい。ただそれだけのことだ。その先にもう1軒狭い店だが居酒屋がある。こちらはやっていた。かなりの歳のお姉さんはオイラのことを覚えていてくれた。ビールが五臓六腑に染み渡った。清水鯖の刺身と、牛の煮込みのコレステロールが体中に活力を行き渡らせるようだった。

ゲストハウスに戻ると、女将さんがいた。挨拶をして、宿泊代を先払いし、風呂をもらい、さて、冷蔵庫に入れておいたおにぎりとおかずの残りを食べようかと思ったら、なかった。変だなあ〜と言うと、女将さんが食べたのだという。昨日、山へ行ったときの友達の残りだと思ったそうだ。実にけろっと、おおらかに言うので、文句の言いようもなかった。全然悪気がないし、あっけらかんとしている。年配とはいえ、女性に対して大物というのはいささかそぐわないが、“女傑”という感じがした。
いろいろ話をしていくと、意外にも共通の土地との関わりがあり、登山や花の趣味が一致していた。偶然の一致である。年齢は私と同じくらいのように見受けたが、今でも北アルプスにも登りに行くらしい。四国高知から長野の北アルプスは遠いし、本格的だ。
こちらが歩き遍路だから、明日はどこまで行くのかという話になる。昨日、土佐市の高岡高校通りからバスで戻ってきたので、そこから36番札所青龍寺(しょうりゅうじ、せいりゅうじではない。)を目指すのだと言うと、「ああ、私も明日の朝は高岡へ仕事に行くのよ。車に乗せていってあげるから、いっしょに行きましょう。」と言われた。偶然の一致である。私は別にわけはなかったが、なんとなく遠慮してそのままになった。
話は尽きなかったが、私は早めに寝た。ずいぶんふわふわしたいい布団を敷いてくれてあった。
私は横になると、また天井の枡目を見つめていた。そして角から始めて枡目を対角線でたどっていく。まわりの辺に当たったら反射してまた進む。それをずっと続けていくと、どこかの四隅の角に、ピッタリとたどり着く天井と、いつまで経っても角にたどり着けない天井がある。この家の天井がどちらだったかは、忘れてしまった。

(つづく)
 (2021.2.更新)

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